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時代の波に翻弄された創業期航空写真測量への挑戦初の大仕事「早出川ダム測量」道路台帳事業参入と営業拠点の拡大ビッグプロジェクトへの参画GIS事業へ参入最新鋭機器を導入し、新たな計測サービスを展開災害復旧活動を積極的に支援新サービスを切り拓く「進化する技術、変わらぬ信頼」を胸に
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創造の足跡創造の足跡

ナカノアイシステム 70年の歩み

戦後の混乱期から現在の高度情報化時代まで
測量分野の技術革新に努め、
数多くの実績と信頼を積み上げてまいりました。
その歴史は70年。
変化する時代を超えて一歩一歩着実に、
そして誠実に歩んできた
私たちの足跡をご紹介します。

時代の波に翻弄された創業期旧株式会社中野測量事務所

時代の波に翻弄された創業期

旧株式会社中野測量事務所旧株式会社中野測量事務所

旧株式会社中野測量事務所 本社社屋(昭和48年)

個人事務所から法人へ

株式会社ナカノアイシステムのスタートは、戦後まもなくの昭和24年4月1日でした。場所は新発田市三の丸、事務所名は「中野工務所」で、創業者である中野赳士が個人で測量業務関連の仕事をするための事務所として開いたものです。

昭和39年、中野の娘婿にあたる安尻宏一が入社したことを機に、中野は営業の第一線を退き、専務の安尻宏一が社長代行として業務の全般を統括するようになりました。そして、高度経済成長期にあった昭和42年6月、「株式会社中野測量事務所」として新たなスタートを切りました。

旧株式会社中野測量事務所

旧株式会社中野測量事務所 設計 製図室

順調に成長を続けてきた中野測量事務所ですが、昭和50年6月2日、経営を統括していた専務の安尻宏一が突如他界しました。昭和48年に起きた石油ショックにより、日本全体が低成長経済への移行を余儀なくされていた厳しい時代。リーダーを失った中野測量事務所はこれにより継続か廃業かの選択を迫られることになりました。

この時に後事を託された人物こそ、故安尻宏一の実弟である安尻利行(元・代表取締役会長)です。

※左背景写真:旧株式会社中野測量事務所 本社社屋(昭和48年)

航空写真測量への挑戦垂直写真(新潟駅~萬代橋)

航空写真測量への挑戦

垂直写真(新潟駅~萬代橋)垂直写真(新潟駅~萬代橋)

垂直写真(新潟駅~萬代橋)

未来を変えるための決断

当時の安尻は前橋営林局の監査官を務めており、まだ40代半ばを過ぎたばかり。当初は就任を固辞しましたが、度重なる説得により社長就任を決意しました。

安尻は社長就任にあたって、業務内容を刷新します。安尻の胸中に、日本経済が停滞しているなかで、今までどおり地上測量だけを行っていても、会社の発展にはつながらないという思いがありました。そこで注目したのが航空写真測量です。当時、航空写真測量はまだ新しい技術であり参入している企業も限られていました。安尻はこの新しい技術を当社の特長にしようと考えたのです。

こうして昭和50年7月、中野測量事務所は社名を「中野測量航業株式会社」に変更し、その名が示すとおり航空写真測量を主体とした事業展開を始めていきました。

空中写真撮影風景

空中写真撮影風景

新潟での地盤を築く

中野測量航業の実質のスタートは昭和50年10月。数千万円という当時では高価な航測図化機をやっとのことで導入し、営業を開始しました。安尻を中心に会社全体で仕事に励みましたが、昭和50年ころは石油ショック後の日本経済の沈滞や節約ムードもあり、まとまった仕事を受注することは難しい状況でした。

しかし当社は、この間も技術者の採用や設備投資など体制を整えながら、少ない仕事を確実にこなしていくことで周りの市町村からの信頼を徐々に獲得していきました。また、航測図化機を導入したことで、当社には航空写真測量のノウハウが確実に蓄積されていきました。

当時、首都圏はもちろんのこと富山、長野、石川、福井などにおいてもすでに航空写真測量を行う測量会社が存在していましたが、新潟にはまだそのような会社はなく、当社は文字どおり新潟におけるこの分野のパイオニアとなりました。

※左背景写真:垂直写真(新潟駅~萬代橋)

初の大仕事「早出川ダム測量」早出川ダム全景

初の大仕事「早出川ダム測量」

早出川ダム全景早出川ダム全景

早出川ダム全景

豊富な経験を認められ受注した大規模案件

昭和51年、早出川ダムの建設のため、国有林の土地を県の土地に所管換えする事業が始まりました。国有林の所管換え事業は、それまで新潟県内で頻繁に行われていたものではありません。それだけにそのような業務に取り組むには、それなりの知識や要領を知っている必要がありました。

その点安尻は林野庁出身で、この分野については他の追随を許さないほどの経験と技術を持っていました。安尻の経験の豊かさが国や県の担当者に認められ、当社はこの事業の測量業務を受注することができました。

ダムでの作業風景

ダムでの作業風景
作業場所が山奥のため、部隊はテントを持って移動し、日々の作業をこなした。

この早出川ダムの測量業務は当社が再スタートしてから初めての大仕事でした。測量業務は7月から11月頃まで約3ヵ月かかり、多いときには10人近くの測量部隊が山中深く入って測量を行いました。当時は社員全員でも10数人の小さな所帯です。そこから10人近くのスタッフが参加するわけですから、最盛期にはとても人手が足りません。そこで外部に応援を頼んで急場をしのいだこともたびたびありました。

また山岳での測量は、谷に下りたり山を登ったり、時には木の枝にしがみつくようにして斜面を下ることもあり、大変な危険をともなうものでした。道路などの平地の測量ではまずないこのような苦労は、当社の測量部隊の貴重な経験となりました。

※左背景写真:早出川ダム全景

道路台帳事業参入と営業拠点の拡大垂直写真

道路台帳事業参入と営業拠点の拡大

垂直写真垂直写真

上越市道路台帳
上越地域3市で道路台帳整備事業を行ったことが、その後ナカノアイシステムと上越地域の結びつきをさらに深めることとなった。

始まりは糸魚川市から

昭和50年代初め、新潟県内の主要な自治体では道路台帳の整備事業に取りかかり始めていました。当社が初めて道路台帳整備事業を手掛けたのは糸魚川市。昭和53年のことでした。

初めての道路台帳整備、それも航空写真測量を用いてのことです。到底一筋縄で行くはずはありません。航空写真測量やコンピュータ技術をマスターしていたとしても、なにしろ経験が少ないですから、仕事をスムーズに進めるコツがなかなかつかめませんでした。

しかし経験は最良の教師。糸魚川市の道路台帳整備事業をやりぬいたことは、次の業務へとつながりました。その翌年には上越市を、続いて新井市(現・妙高市)と次々に道路台帳を手がけることになったのです。さらに、上越地域3市で道路台帳整備事業を行ったことは、当社の事業経営にも大きな推進力をもたらしました。

糸魚川市道路現況図

糸魚川市道路現況図

業務が軌道にのり売上高が上昇、拠点も増加

このように航空写真測量の業務が道路台帳整備に結びつき、道路台帳整備事業が始まった昭和53年頃から、当社の売上高は顕著に伸びていきました。

業務が軌道にのり始めると、営業の充実、とくに営業拠点を開設する必要が生じてきました。新潟から毎日のようにスタッフが行き来するというのは時間的なロスも大きく、顧客の要求に機敏に対応しきれない場面も出てきたからです。

そこで上越市の道路台帳業務を行うことになった昭和54年4月、上越営業所(現在の上越支社)を開設しました。その後、全国の自治体で道路台帳を整備する動きが出てきたため、これらの業務を中心にして県外でも営業活動を進めようという考えからまず、秋田支店を開設しました。続いて六日町支店や北関東支店など県内外の各拠点を設置。現在も全国に営業所や事業所を開設し続けています。これは糸魚川市で初めて道路台帳整備を手掛けた時から一貫して「地域密着の体制を築き、きめ細かな顧客サービスを行うことによって信頼が得られる」という考えに基づいています。

新築された上越支店(昭和62年3月 五智国分)

新築された上越支店(昭和62年3月 五智国分)

※左背景写真:上越市道路台帳
上越地域3市で道路台帳整備事業を行ったことが、その後ナカノアイシステムと上越地域の結びつきをさらに深めることとなった。

ビッグプロジェクトへの参画新潟空港

ビッグプロジェクトへの参画

新潟空港新潟空港

新潟空港全景
新潟空港の場合、新しく作る飛行場ではないため、現行の空港業務に支障をきたさないように慎重に測量を進めていった。

高速自動車道や東港工業地帯の用地測量業務

昭和50年代以降、航空写真測量は期待どおりの発展をみることができましたが、その一方でもう一つの柱である地上測量部門も県内の様々なビッグプロジェクトに参加することになりました。

昭和51年の早出川ダムの測量業務以降、大きな地上測量としては、まず六日町(現・南魚沼市)や堀之内町(現・魚沼市)における関越高速自動車道の測量があげられます。これは高速道路の事前調査の一環としての用地測量で、当社は新潟県や日本道路公団(現・NEXCO東日本)から発注を受けて測量を行いました。

昭和54年には新潟東港工業地帯の造成工事が始まりました。このプロジェクトは用地買収が絡むビッグプロジェクトです。当社はその測量業務を担当しました。当時の担当者は新潟県の東港開発局と打ち合わせを重ねながら、航空写真測量を併用した用地測量業務を慎重に進めていきました。

新潟東港工業地帯(平成2年)

新潟東港工業地帯(平成2年)

20年間続いた奥三面ダムの測量業務

奥三面ダム工事は、これまでのダム工事の中でも群を抜く大規模なものです。これも早出川ダムと同様に国有林を建設省(現・国土交通省)の用地に所管換えするもので、その測量は昭和56年に始まり、平成12年まで20年以上に渡り続きました。

早出川ダムや奥三面ダムなどにおける測量は当然山奥での作業になりますが、この山中での作業は容易なものではなく、労力がかかるとともに、場合によっては危険をともなう作業となります。

昭和58年の11月頃、飯豊山系の山奥深く入って測量をした際に、二人の若い測量員が夜になってもキャンプに戻らなかった出来事がありました。結局二人は大きな木の陰で一夜を過ごし、明るくなってから行動したということで大事に至りませんでしたが、場合によっては死の危険性もあったといいます。

幸いこれまで当社において遭難事故は発生していません。山中での作業がいかに危険なものか、この出来事を機会に当社では全スタッフが安全作業を強く意識して測量業務に臨むようになりました。

奥三面ダム

奥三面ダム

貴重な経験となった新潟空港の測量業務

昭和50年代半ば頃から新潟空港の滑走路延長工事計画が具体化し始めました。それまでの2,100メートルを2,500メートルに延長するプロジェクトです。このプロジェクトは、環境アセスメント、用地買収、用地測量、用地補償などの業務を新潟県が国に代行して行うもので、平成5年の完成を目指しました。当社の技術スタッフは、当時の運輸省第一港湾建設局新潟港工事事務所や新潟県と密に連絡を取りながら測量業務を進めていきました。

新潟空港の場合、新しく作る飛行場ではないため、現行の空港機能に支障をきたさないように慎重に測量を進めていかなければなりません。そうなると夜間作業が多く、昼間でも飛行機の離発着の合間を縫って機敏に測量を進めていくというかなり緊張感のともなう業務となりました。これは山岳での測量作業とはまた違う難しさがあり、この経験も当社の測量班には貴重な経験になりました。

昭和50年代以降、関越高速自動車道の測量をはじめ、新潟東工業地帯の造成にかかる用地測量や奥三面ダムの測量業務、新潟空港の測量業務などの大きなプロジェクトに参加することで、当社の技術力や営業力がよりいっそう磨かれていきました。

当時の新潟空港

当時の新潟空港

※左背景写真:新潟空港全景
新潟空港の場合、新しく作る飛行場ではないため、現行の空港業務に支障をきたさないように慎重に測量を進めていった。

GIS事業へ参入パソコン

GIS事業へ参入

パソコンパソコン

社名を「ナカノアイシステム」へ 
新たな試みへの挑戦

平成元年の10月、当社は長い間活動の本拠地としていた新潟市平島の本社を新潟市鳥屋野に新築移転しました。そして当社の45周年にあたる平成6年に社名を「中野測量航業株式会社」から「株式会社ナカノアイシステム」に変更しました。この社名はAerial surveyとInnovationの頭文字をとったもので、新たな挑戦に向かう決意をあらわしたものです。

新たな挑戦とは、地理情報システム(GIS)の開発です。平成に入り世間に広くパーソナルコンピュータが普及し、自治体でも地図を検索・参照するシステムの需要が徐々に増えつつあった頃です。平成5年ころには固定資産税台帳業務の具体化に伴って、土地と家屋の情報管理を迅速に行える固定資産管理用GISの導入が必須となっていました。

航空写真測量は得意とするところですが、固定資産税台帳となると道路台帳よりも複雑かつ詳細なデータの管理が必要で、なかなか容易にはいかないこともありました。しかし、平成6年に西蒲原郡巻町(現・新潟市西蒲区)の固定資産税台帳整備を受注したことを弾みに、当社はGISの開発に力を入れていくことになったのです。

GISはその後も需要が伸びていき、当社の事業の大きな柱となっています。固定資産管理システム以外にも、これまで当社がかかわってきた各種台帳のデジタル化とそれらを管理するためのGIS(道路管理システム、下水道施設管理システム、ガス水道施設管理システム、農地情報管理システムなど)開発へと、システム関連の事業内容は確実に広がっています。

様々な業務に特化した地理情報システムを開発

様々な業務に特化した地理情報システムを開発

信頼獲得に向けた取り組み

様々な情報を紙で管理していた時代から、コンピュータ上で情報を管理する時代、さらにはいつでもどこでもコンピュータやネットワークにつながることが可能な社会に発展し、多様なデータ収集・処理・利用が可能な時代が到来しています。急速に社会が発展していく中で、当社は変わらぬ信頼を勝ち得ていきたいと考えています。そのため当社は、平成11年より品質管理と品質保証、個人情報保護と情報セキュリティに関する取り組みを継続して行っています。

平成16年5月にはプライバシーマークを取得し、当社の個人情報保護に対する規定を定めました。平成21年3月には新たに情報セキュリティマネジメントシステムを取得し、当社の情報資産に対するセキュリティリスクを明確化、その対策を定めています。これらの資格取得は信頼獲得へ向けた取り組みの一つです。私たちは日々の業務において、お客様の要求に真摯に向き合い、その声に応えていきたいと考えています。

新潟県内シェアNo.1の統合型GIS

平成10年以降、庁内における地図データを横断的に有効活用していこうという機運が高まり、統合型GIS導入を検討する自治体が増え始めました。統合型GISとは、庁内LAN等のネットワーク環境のもと庁内で共有できる空間データを「共用空間データ」として一元的に整備、管理し、各部署において活用する庁内横断的なシステム(技術、組織、データの枠組み)のことです。

地図

ハザードマップ
複数の情報を重ねる事により防災に役立てる

統合型GISは今までの個別型GISとは異なる新しい技術(WebGISの活用)が求められたため、その開発は困難でした。当社はGIS事業部(現ICTセンター)を中心に、他部署の社員や外部にも協力を仰ぎながら新しいビジネスモデルを作っていきました。

こうして会社全体で取り組んだ統合型GISは、平成15年新潟市に導入されることとなり、その後も多くの自治体にシステムが導入されました。そして平成29年4月現在、新潟県内10自治体にて当社の統合型GISが稼働、県内シェアNo.1になるまで成長しました。また、当社の統合型GISは県内にとどまらず、県外においても10を超える自治体で稼動しています。

統合型GISは、その構築・運用・保守の過程で客先からの要望を吸収しながら進化を続け、今では当社のメイン商品といっても過言ではないものとなっています。

最新鋭機器を導入し、新たな計測サービスを展開UAV(ドローン)

最新鋭機器を導入し、新たな計測サービスを展開

UAV(ドローン)UAV(ドローン)

UAV(ドローン)
カメラや他計測機器を搭載し、局地的な情報を迅速に収集

MMS(モービルマッピングシステム)

さらなる飛躍を目指して、当社は新たな技術を積極的に取り入れています。平成22年には、三菱電機株式会社製のMMS-X640を導入しました。MMS-X640は、車両上部に搭載された4台のレーザスキャナと6台のカメラで走行しながら道路周辺の測量ができる車両です。全国を見ても当社が3例目の導入となる最先端のシステムでした。(平成22年11月時点)

MMSは全国的にも実績が少なく未知数な部分が非常に大きかったため、その導入の是非に関して繰り返し協議が行われました。しかし、「今までと同じことをやらずに、新たなことに挑戦しよう。」という社長の考えが後押ししました。ここにも、昭和50年会社再スタート時の「新しいことに挑戦する」というチャレンジ精神が受け継がれていると言えるでしょう。

導入後社員が一丸となりピーアールした結果、MMSはその先進性や有用性が高く評価され、平成22年に国土交通省北陸地方整備局新潟国道事務所より新潟バイパス他数路線の測量業務を受注することになりました。この業務は「交通規制をせず、いかに縦断図の精度を確保するか」を求められており、MMSの特性とうまくマッチした結果となりました。

MMS(モービルマッピングシステム)

MMS(モービルマッピングシステム)
走行するだけで、周囲の画像および高精度な位置情報を取得

マルチビーム測深器

水域における計画検討内容の高度化に伴い、要求される基礎資料も高度化しています。水面下についても面的形状把握の必要性が高まり、当社は平成24年にはマルチビーム測深機Sonic2024を導入しました。マルチビーム測深機は扇状にビームを出力して面的に測量を行う機器です。そのため、広範囲を素早く効率よく測量できるのが特徴です。

平成26年当社は国土交通省北陸地方整備局新潟港湾・空港整備事務所の発注する、新潟港の深浅測量および汀線測量業務を受注しました。この深浅測量において、当社は音響測深とマルチビーム測深器を併用したデータの取得を行い、その取得データを用いて新潟港西港地区および東港地区における堆積・浸食の傾向が判別できる深浅変化図を作成しました。

マルチビーム測深器

マルチビーム測深器
最大1024本のシャープな音波を発信することで、高精度な測深データを取得

航空レーザスキャナ

MMSやマルチビーム測深機に続き、当社は平成25年航空レーザスキャナRIEGLLMS-Q780を導入しました。航空レーザスキャナは、照射したレーザによって地表をスキャニングし、精密な三次元モデルを作成することができる測量機器です。航空レーザスキャナは非常に高額であり、当時機器を保有している企業は日本でも限られていました。しかし当社は、昨今の測量業界で三次元計測技術の導入・活用が進んでおり、三次元が今後のスタンダードになっていくという考えから航空レーザスキャナの導入を決定しました。

平成26年に当社は国土交通省北陸地方整備局長岡国道事務所より、新潟県柏崎市米山地区内事業予定路線の航空レーザ測量を採用した業務を受注しました。航空レーザ測量による地盤高の把握は、従来の航空写真測量によるものよりも高精度です。当社では取得したデータから地形データを作成し、それらは路線の把握や事業の計画に利用されました。

航空レーザスキャナの導入により、当社は測量の幅が広がり、より多くのニーズにお応えできるようになったとともに、新サービスの創出も可能となりました。例えば、当社にはMMSやマルチビーム測深機が導入されていますが、これら3つの機器で計測したデータを組み合わせることで、今までは難しかった陸上から海底までのシームレスな三次元地形モデルの作成が実現できるようになったのです。

当社では最新機器の導入はもちろんのこと、その最新機器をつかいこなす技術力の向上、取得した測量データの利活用にも日々力を入れています。ナカノアイシステムのイの字は「イノベーション」、みなで知恵を出し合って測量技術を変革し続け、今後も新たな計測サービスを展開していきたいと考えています。

航空レーザスキャナおよびデジタルカメラ

航空レーザスキャナおよびデジタルカメラ
航空機に搭載することで、広範囲の画像および高精度な位置情報を効率的に取得

※左背景写真:UAV(ドローン)
カメラや他計測機器を搭載し、局地的な情報を迅速に収集

災害復旧活動を積極的に支援東日本大震災での浸水深調査の様子

災害復旧活動を積極的に支援

東日本大震災での浸水深調査の様子東日本大震災での浸水深調査の様子

東日本大震災での浸水深調査の様子

新潟県中部7.13水害

平成16年7月13日新潟県中部7.13水害が発生しました。新潟県から東北地方南部に停滞した梅雨前線の影響により、新潟県中越地方を中心に24時間雨量が400㎜を超える記録的な豪雨によるものです。

この豪雨の際に、当社は地元測量会社の一員として、また航空測量会社としていち早く行動をとりました。まず現況把握や復旧に必要な航空写真撮影を実施。その後復旧計画立案などに利用するためのオルソ画像や写真帳の作成、航空写真測量による地形図の作成を行いました。その後は復旧工事に必要な測量業務や補償業務と、幅広く支援活動を実施しました。

冠水被害状況を航空斜め写真にて撮影

冠水被害状況を航空斜め写真にて撮影

新潟県中越地震

平成16年10月23日に発生した新潟県中越地震は、新潟県川口町で最大震度7を記録し、その後も何度も強い揺れが起こるまれにみる大地震となりました。

この地震の際にも、地元会社としての責任を果たすため復旧活動に駆けつけました。当社は復旧活動を実施する傍ら、新潟県測量設計業協会の一員としてその手配や指示、取りまとめ等も行うことになりました。

中越地震は、山間地域を含む広域での災害であったため、その被害の把握には当社の得意分野である航空写真測量が力を発揮しました。撮影した航空写真は被害状況の確認や地形図・横断図の作成など、各方面の復興支援に役立てられました。

さらに小千谷市においては、当社の固定資産管理GISが導入されていたため、京都大学およびESRIジャパン株式会社とともに、効率的かつ確実に罹災証明書を発行できるようなシステムづくりを行うなど、連日何名もの社員を派遣して作業にあたりました。

被災者からの申請を基に被災した家屋の特定調査

被災者からの申請を基に被災した家屋の特定調査

新潟県中越沖地震

平成19年7月16日に発生した新潟県中越沖地震は新潟県上越沖を震源とする大規模地震で、新潟県柏崎市、長岡市、刈羽村と長野県飯綱町で震度6強を観測しました。

この地震の際にも、地元会社としての責任から様々な復旧復興活動に連日多くの社員を派遣し、その数は延べ600人にも上りました。ここでも、航空測量業務(航空写真撮影・地形図作成)、地上測量業務、補償業務を実施するとともに、平成16年の新潟県中越地震でも行った罹災証明書の発行作業に協力しました。

東日本大震災

平成23年3月11日に太平洋三陸沖を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は最大深度7を観測しました。この地震による津波などの災害およびこれにともなう原子力発電所事故による災害は「東日本大震災」と呼ばれています。

当社は地震により生じた道路周辺部の段差やクラックを把握するため、岩手県陸前高田市においてMMS(モービルマッピングシステム)による計測を行いました。震災後の荒れた路面の計測は非常に神経を使いました。しかし、MMSの計測は従来の人手による現地作業と比べ、飛躍的に作業時間を短縮し、段差やクラックなどの被害状況も効率的に把握することができます。また、レーザを照射するだけで計測が可能なので、路肩が崩壊しているような危険な個所にも立ち入らずに高精度の計測が行えるという利点もあります。当社は、スピードが重要な復旧作業の現場では、MMSは非常に有効な手段であると確信しました。計測したデータは被災状況の把握や、その後の復旧作業に役立てられました。

当社の事業の柱である航空写真測量、またMMSをはじめとする最新鋭の測量機器。これらの技術を通じて災害発生時の状況把握やその後の復興作業に貢献することは、社会基盤整備を担う測量会社としての社会的責任であると考えています。

MMSにて被災状況確認調査

MMSにて被災状況確認調査

※左背景写真:東日本大震災での浸水深調査の様子

新サービスを切り拓く除雪車

新サービスを切り拓く

除雪車除雪車

自治体様から注目を集める「除雪集計システム」

現在の測量業界では急速な技術革新が起きており、必要な知識や技術、アイディアも刻々と変化しています。当社がこれまでに得た成功体験は、今後、日に日に変化するであろうビジネスモデルには、徐々に適合しなくなっていくと考えています。

そんな中で、今後も当社がこれまでどおり安定したサービスを提供できる企業として存続するためには、過去の実績にとらわれず、現在の社会動向やお客様のニーズを的確に把握し、時代に合った技術やアイディア、新たな販売チャンネルを模索していく必要があります。

近年当社の商品の中で、多くの自治体様から注目を集めているのが「除雪集計システム」です。このシステムは、スマートフォンなどのGPS端末を除雪車に搭載し、除雪車の位置をリアルタイムに把握することで、「除雪車が出動しているのか?」や「除雪車は今どこにいるのか?」など市民の方々からの声に対し、迅速に対応することができます。本システムは現在9自治体に導入されていますが、実際にご利用いただいているお客様からのご要望を柔軟にシステム機能として取り入れることで、年々使いやすく進化しています。

除雪車に搭載する各種GPS端末

除雪車に搭載する各種GPS端末

プラント施設をレーザ計測

これまで当社のサービスは、そのほとんどが官公庁向けのものでした。しかし、近年では官公庁だけではなく、民間企業向けサービスとして当社が持っている技術を活用した新たなソリューションを展開しています。そのひとつがプラント施設をレーザ計測し、当社の得意とする測量技術とモデリング技術を併用し、高精度な三次元モデルとしてご提供するサービスです。

プラント業界に限らず、当社ではこれまでの測量計測技術をさらに研鑽し、利活用の幅を広げていきたいと考えています。

プラント計測結果(三次元点群)

プラント計測結果(三次元点群)

「進化する技術、変わらぬ信頼」を胸にナカノアイシステム

「進化する技術、変わらぬ信頼」を胸に

ナカノアイシステムナカノアイシステム

測量の未来をデザインする

小さな個人事務所からはじまった当社も県内外に事業所を拡大し、創業から60余年を数えます。その間、航空写真測量技術の導入や地理情報システムの研究開発など、その時代の最先端技術を取り入れる姿勢を一貫してきました。今後も「進化する技術、変わらぬ信頼」を胸に、業界の一歩先を見据えた新技術の導入・研究をたゆまず続けていきたいと考えています。

当社は独自の技術とノウハウで、測量の未来をデザインしていきます。

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