本社情報技術部勤務Generalist 求められてたどり着いた場所。未来に向けた思いとは
1998年入社
大切にしている言葉:継続は力(小さな努力も続ければ成功する)
1998年入社 / 大切にしている言葉:継続は力(小さな努力も続ければ成功する)
ナカノ人生ハイライト
まえがき
ジェネラリスト(Generalist):
広範囲にわたる知識や経験を持つ人のこと。全体を見渡し、客観的な評価ができ、臨機応変な対応ができる人を指す。
彼のこれまでの経験を辿るうちにこの言葉に行きついた。
どのようにして、何を経験して今の彼に至ったのか。
もうすぐ入社から30年を迎えようとしているこのタイミングで、自身の社歴を振り返ってもらうことにした。


会社との出会い
数ある会社の中で新潟市内に拠点を置くナカノアイシステムを知ったのは、同じ学校の先輩が就職したという話を聞いたのがきっかけだった。
住み慣れた地元で働くことを最優先に就職活動をしていた彼の背中を押してくれたのは、測量会社に勤めている父親の知人の「地元に拘らずいろいろな会社を受けてみて、だめならうちに来ればいいよ」という一言。
あの時背中を押してもらい地元を出る決心がついたことで、ナカノアイシステムでの躍進が始まることとなる。
ジェネラリストへの道のり
入社してしばらくの間は目の前の業務に向き合うことに必死で仕事に楽しさを見出す余裕はなかった。
しかし7年目以降に固定資産地番図修正や道路台帳など各種台帳に携わる部署へ異動することとなる。
様々な経験をした今でも「この仕事が1番好き」と公言できるほどだ。


平成25年、初めて新潟市の本社を離れよという辞令が出た。上越支社への異動だ。
支社長から「やっと上越に来てくれた。ドラフト1位を引くまでに時間がかかったよ」と言われるまでに社内で彼への期待も評価も大きくなっていた。入社から15年目のことだった。
しかし異動からわずか3か月後、上越支社一同からの歓迎の熱が冷めないうちに本社へ戻るようにとの内示が出る。
当社で初めて航空レーザを導入するにあたり担当として抜擢されたのが彼だったのだ。
だがそれは、大手企業に比べると10年遅れてやっと立てたスタートラインだった。
当時、社内で航空レーザについての知識がある者は一人もおらず、会社としても初めての試み。
他企業でOJTを受け、やっと形になって成果物を納品できるようになったのはそれからさらに2年後のことだった。
「ゼロからのスタートで成功する秘訣は、手を動かして汗をかくことから始まる」
会社がそれをやるだけの体制を整えてくれたのも大きかった。
その志を内に秘め、実際に手を動かし、汗をかき、自身に与えられた任務を堅実に熟していくことで見事軌道に乗せることに成功したのだ。
そして航空レーザでの撮影業務は今なお当社の売り上げ20%に近い数字を出している。


入社17年目、平成27年には課長に昇任。
その年の7月には新たな部の発足とともに仙台への辞令が出た。
入社してからの数年は様々な部署、出先への異動が続き自分はたらい回しにされているのではないかという気持ちが渦を巻いたことがあった。
しかし今はそうではない。
部署として、個人として、難しい要求をされた時にも「この決断をすることで会社全体がいい方向に向かうのであれば」と思うことで大抵のことは受け入れられる気がしていた。
悩むよりはチャレンジしたい。その発想の柔軟さ、会社を思う気持ちこそが彼の魅力なのだ。
入社24年目の令和3年7月、現部署の次長に昇任する。
当社始まって以来の最年少人事となった。
「自分の部署のみんなを大切にしている」
そう、まっすぐに語る姿が印象に残っている。
恥ずかしがることなく、そんな言葉を口にできる人がどれだけいるだろうか。
「部署のメンバーは年上も多くて悩むこともある。でも周りの人たちに支えられて今の自分がこの立場で成り立っているのだってことがすごくよく分かる。恵まれているんだよ」
ジェネラリストとはまさに彼を表現するのにふさわしい言葉ではないだろうか。
ぜひまえがきに戻ってその言葉の意味を再確認していただきたい。


上司の存在と影響力
彼が憧れを抱き、「大きな存在だった」と語る人物がいる。
特別な思い出があるわけではない。社内での存在感、人柄、そういった少しずつの積み重ねが憧れを抱くことに繋がったのだろう。
すでに一線を退き、会社を離れているかつての上司は今でも彼の中に大きな存在感を残したままでいる。
彼の物語は「憧れの存在」なくして語れないだろう。
「直属の上司と部下として働くようになったのは入社から5~6年が経った頃。当初は線が細く繊細、目立つタイプではなかったが、何か光るものがあると感じ将来を見込んで少しずつ育てていった。何をやらせてもスマートな仕事をする。やっぱり他にはいない、自分の後継者にするならコイツしかいない。俺の目は間違っていなかったよ」
「原石だ」という直感を信じ、自身の引退に照準を合わせるように時間をかけ徐々に仕事を引き継いでいったのだ。
同年代の社員の中でもこれほどの職務経験を持つものは少なく、培った経験値を味方に当初は重責かと思われた部署長の職に就き見事にグループを率いていくこととなる。
その結果、役職歴代最年少という記録を現在も更新し続けている。


あとがき
彼の見据える先は。
『会社の売上に貢献できる人材育成や、仕事がしやすい環境づくりにも力を入れ、人生で長い時間を過ごす場として従業員から愛される会社を目指したいと思います。』
不安定なこの時代、企業が生き抜くには変わりゆく環境に順応していかなければならない。
そんな未来に続くサステナブルな経営...つまりは新人・ベテラン関係なく、社員誰もが活躍できる場を作り続けていくことが求められる。
見知らぬフィールドでも活躍できること。
人をまとめることに長けていること。
そして何よりナカノアイシステムを愛していること。
三拍子揃った彼が前線で引っ張っていってくれる、そんな明るい未来もそう遠くないだろう。


100年企業に向けて
「NAISなヒト」からのメッセージ
今後もわが社がこの世界で勝ち抜くためには、他社に負けない確かな技術力ときめ細やかなサービスに加え社員の人間力が必要だと思います。
我々の業務は、高精度な機器を使い、デジタルでサービスを提供していますが、納品はあくまでも人を通して納品します。
お客様とコミュニケーションを取りながら、創造し、提案しながらより良いものを提供しています。
常に第一線で勝負し続けるための技術、サービス、人間力を磨きながら、100年企業に向けて、皆様に愛されるナカノアイシステムになれるように成長し続けます。

